わんこの幸せ 嬉しい♪ 美味しい♪ 楽しい♪


ちろぽんママの小さな応援

きな子、大好きだよ~

  

 朝、私の心を写り出すかの様な、今にも崩れそうな、曇が厚く広がった、ちろぽん家地方。。。
 本日、予定通り、きな子をお空に見送って来ました。。。

 ちろぽん家、初めての女の子。 そして、このちろぽん家で暮らした、全てのわんこ、ちろ太、ぽん太、あ豆き、ひよ子、もな香、そら実、あん子、そして、親戚のゆう太を含め、全てのわんこと、直接接した唯一のわんこが、きな子です。

 ちろぽん家に来た時は、生後2ヶ月の赤ちゃんわんこ。 ちろ太兄ちゃんとぽん太兄ちゃんに、色々なことを教わりながら、ハチャメチャに過ごした、ガキンチョ時代の、お転婆ちゃん。

 そして、ちろ太兄ちゃんを見送った、きな子4歳の頃から、『これからは、アタチが母さんを守らるでしゅっ!』とばかりに、急激にお姉ちゃんに成長してくれました。

 その後、きな子より年下の子達が、応援団に入団して、更にお姉ちゃん度は上がり、何時しか頼もしい、小さな応援団長として、この私を支え続けてくれました。。。

 息を引き取る、約一週間前から、右手関節の強張りも出て来ていましたが、それでも尚、私の前に背を向けて座り、私のことを守る姿勢を崩しませんでした。

 体重が激減し、特に腰骨の保護を兼ねて、ムーニー着用させていましたすが、それでもちゃんとトイレに行って、上手におトイレも出来ていました。

 そんなきな子でしたが、息を引き取る2日前の晩から、固形物も、流動物も、お水も一切受け付けてくれず、遂に恐れていた時が訪れてしまったのだと、私は感じました。
しかも、この日の朝食は見事に完食。 それを意味することは、当日私の仕事は繁忙日。 きっと私が仕事に集中出来る様、頑張って食べてくれたのだと思います。

 その日の晩、急遽、年末戴いておいた輸液をして、様子を観ていましたが、若干、目力が上がる程度。 その時から、内服薬服用も止めざるを得なくなりました。
翌朝、わんこ先生に連絡を入れ、「内服薬の代わりに、輸液にお薬入れましょう」ということで、新しい輸液を戴きましたが、それでも、きな子の容態が回復する感は、全くありませんでした。

 今まで、例え下痢をしても、食事やおやつを拒否することは、一度もなかった、きな子。 それは、プレドニンの影響もあるかも知れません。 そんなきな子、何も口に入れてくれない。。。

 その時も思い出す、あるドクター(人間)の言葉、、、
 逝く時(人もわんこも)、自らその準備をするんです。 長い眠りに着く為の準備です。 もう動かなくて済むのだから、食べる必要も飲む必要もなくなるんです。 そうして、身を軽くして逝くのが、一番穏やかで安らかに逝けるんです。 それは、私達は動物として、理解しているんだけど、現代医学が何かを狂わせてしまっていて、過誤に手を加えがちだから、そうでない状況を、作り上げてしまっている。」と、聞いたこと。 そして、何があっても食することを拒むことが無かった、きな子の状態が、私の中で交互に木霊していました。。。

 私は、この10年間、きな子を失いたくない一心で、きな子にアジソン病の投薬を強いてきました。 アジソンクリーゼを回避する為に。 だからこそ、きな子の終期の瞬間は、きな子に任せることにしようと、たどたどしくはあるものの決めていました。

 息を引きとる直前、きな子を抱っこして、「きな子~、大好きだよ。 大・大・大好きだよ! 解る!? 母さんの言っていること解るよね!? ずっと、ずっと、大好きだよ~!」
 「ちろ太兄ちゃん、ぽん太兄ちゃん達に、きな子のことをお願いしているから安心していいのよ。 母さんのことならもう大丈夫だから、心配しなくて良いよ。 だから、きなちゃん、もう頑張らなくて良いのよ。 力を抜いて良いのよ。」 と、声お掛けると、お顔がとても穏やかで微笑む様な、まるで天使の様な表情を見せてくれました。 そして次の瞬間、一機に脱力したのでした。。。 

 

 

< 2/26/2018 >

 

 

 

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