あんちゃん
< Jul.21.2020 >
まるでわたしの胸の内を映し出した様な、雲に包まれ続けた空模様。
わたしが、あん子に作ってあげられる、最後のまんま弁当と、手紙を持たせ、予定通り、あん子を虹の橋へ送り出しました。。。
ここから先は、ちろぽんお兄ちゃんや、きなひよお姉ちゃん達に、あん子を任せることになります。。。
運命で出会い、宿命で見送る。。。
解っていても、何度経験しても辛い。 何度経験しても慣れることなどありません。 ただ段取りや手際が、少し良くなってしまったことが、逆に、ある意味切なく感じてしまいます。。。
それまで、あん子が闘ってきたこと、受け入れてきたこと、諦めなかったことと、今のわたしの苦しさ悲しさは比ではないと解かってはいても、掛替えのない子を見送るということは、この肉体の一部ごと、心を抉り取られる様な思いです。
もっと、ずっと一緒に居られると思っていたし、願っていました。 でも、叶わなかった。。。
わたしは、あん子のどのサインを見落とし、気づいてあげられなかったのか? わんこ先生に何を伝え切れていなかったのか?と思うと、不甲斐なさを感じます。。。
昨晩の食事は、ほぼ普段と変わらず自食で完食し、その後も何時もと同じようにまったり過ごしていました。
それから少しすると、何時もと異なった痙攣が起きました。 これが低血糖からくる痙攣発作ではないことは、食後だっただけに、わたしにも理解出来ました。
急いで携帯酸素を吸わせ、窓を開け外の空気を入れ、様子を観ました。午後11時頃だったと思います。
痙攣は、短い間隔で何度か起こりましたが、激しさが徐々に弱まり、落ち着いてくれました。
ただ、自立が困難な様子だったので、これから寝たきり生活が始まるのかも知れないと、覚悟を決めました。
リビングにある、あん子のお気に入りのカドラーに寝かせ、その横でわたしは手を繋いで寝ることにしました。 その時点で、痙攣が続く様なことはなく、呼吸も荒くなっている感はありませんでした。
リビングの床の上に直接体を横にしたわたしは、床の硬さも手伝って眠ることは出来ず、あん子と手を繋いでいることだけで時間に流さていました。その時の時間が、深夜2時頃。
そして次に時計を見たのが2時半過ぎ。
この時、あん子の目が不自然開いている様な気がしたので、「あんちゃん、辛くない? 大丈夫?」と声を掛けると反応がなく、まさか?と思いながら、急いで、あん子の胸に手を移し、鼓動を確認すると、感じる取ることが出来なくなっていました。。。
大きな声を上げるでもなく、ゲボする訳でもなく、Pする訳でもなく、最後のまんまも完食して、、、
カドラーに寝かせた時、あん子の視線が、ひめ子をしっかり見つめていたのが、とても印象的で、又その時、ひめ子も、あん子の視線を、外さずにいたのも、とても印象的で、しっかり記憶に残っています。
今思えば、『ひめちゃん、あとは母さんのことお願いね!』と、話していたのでしょうか。。。
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あん子とのお別れに駆けつけて下さった方々、お花を届けて下さった方々、そっと遠くから思いを寄せて下さっている方々。 生前、あん子を可愛がって下さった方々に、心よりお礼申し上げます。
いただいたお花も、あん子に持たせることが出来ました。ありがとうございました。
「あんちゃん、うちの娘になってくれてありがとう♪」
「あんちゃん、ずっと、ず~っと、大好きだよ!」
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