わんこの幸せ 嬉しい♪ 美味しい♪ 楽しい♪


ちろぽんママの小さな応援

ちろぽん家の歴史(長文です)

< Aug.20.2020 >
全国的にもだけど、残暑厳しすぎる、ちろぽん家地方。。。

さて、あん子の月命日でもある今日、ちろぽん家の歴史をちょっと遡ってみたいと思います。。。

 

わんこと初めて暮らしたのは、1992年11月7日ですが、ちろぽん家となったのは、2001年3月31日のこと。
最初からギャルわんこ希望だったわたしに対して、相方は男の子希望でした。

初めてシーズーというわんこを知ったのが1992年11月2日、友人にシーズーというわんこを教えてもらう為、横浜十合内にあるショップを訪ねたのが切欠です。
たまたまそこで、シーズーフェアなるものが開催されていて、とびっきりの縁で巡り合ったのが、長男となった、ちろ太です。

わんこ暮らし初心者同士、悪戦苦闘すること9年の保護者s、何時しか多頭に憧れはじめ・・・というより、相方母が、わたしがあまりにも、ちろ太にのめり込む様子を観て、「もう一わんこ!」と、わんこ苦手だった義母からの提案でした。。。

そして、今度こそはギャルわんこ!と、熱望していたわたしでしたが、目に留まったのが、配色が決して良いとは言えずの、次男となった、ぽん太。ブリーダーさん曰く、「こういう配色の子は、ショップに向かないんですよ。お顔は愛嬌があって可愛いですけどね」と。

その時、この子の可愛い部分を、うちで沢山引出してあげることが出来たらと、わたし自ら、男の子である、ぽん太に運命を感じることとなった訳です。
この次男の登場で、ちろ太とぽん太ということで、ちろぽん家となりました。。。

長男 ちろ太

次女 あ豆き & 次男 ぽん太

 

長女 きな子

 

次女 あ豆き

それから4年。当時の自宅近隣に新たに出来たショップで、保護者sとの出会いを待っていてくれた!?長女きな子。
今度こそ正真正銘のギャルわんこ! わたし念願のギャルわんこ! 「先住わんこを優先!」毎日毎日呪文のごとく自身に唱えたものでした。(笑)

それから2年の2007年、長男ちろ太15歳で心配事が出始め、かなり際どい時期から復活してくれたことに感謝の意味を込め、ここで初めての保護わんこ、次女となる、あ豆きを迎えました。
この時、仮ママ様とのお約束、週2回のシャンプーと内服薬の継続、24時間完全フリー。あ豆きはコートもかなり薄く、肉球がなく私達人間の掌の様で、本来ならわんこにある、肉球の間に生える毛も一本も生えていませんでした。
左耳には虐待と思われる傷跡というより、耳そのものを半分位切断されていて、あ豆きの心のケアまで、仮ママ様から引き継ぐこととなりました。
ただこの時、あ豆きの心のケアを一番気にかけてくれたのが、実は、次男ぽん太だったのかも知れません。

それから2年後となる2009年12月、溺愛し、相思相愛、惚れた弱み、理想の男性像でもあった長男ちろ太を、虹の橋へ送り、人生最大の悲しみ(苦しみ)を知ることとなったわたし。。。
「もしかして後を追うかもしれない!?」と、心配して下さった方は数多く、「後を追ったら、虹の橋で再会出来ないんですよ! 今は辛いと思いますがしっかりね!」と、わんこ先生にも釘を打たれる程ご心配戴いて、又、わんこ友達の保護者の方々が、わたしに貼り着いて見守ってくれていました。。。(感謝)

あの時の自分を振り返ると、悲しいとか苦しいとか以外の記憶が乏しく、季節とか時間とか、わんことか人間とか、正に「無」の状態だった様に思い出されます。。。

「もう、わんこのお世話は出来ない! もう、わんこは無理!」 そう思いながらも、ぽん太と、きな子と、あ豆きのお世話だけは、ほぼ何時も通りにこなせていた!?かも知れない。今思えば不思議です。。。

それから5年後、、、
何時しか、ちろ太に似ている、里親募集の保護犬を探す様になっていました。。。
「もう無理! あの辛い悲しみと向き合うのは、わたしには出来ない!」と思い続けてきた5年間。
しかしある時から、「わたしがあの辛い悲しみを負って涙を流しさえすれば、この子の命が、わんこの命がひとつ救われる!」そんな風に考えられる様になっていたのでした。。。

三女 ひよ子

四女 もな香

 

五女 そら実

 

六女 あん子

 

七女 ひめ子

 

ゲスト週末の男 ゆう太

それから、ちろぽん家のわんこシートがひとつ空くと、新たに保護わんこを迎え入れられる様、心のバランスを取りながら、心がけてきました。。。

それは、わたしが涙を流せが、ひとつの命が救われる! ただこれだけのことで、それ以上でも以下でもありません。
わたしが子供達を見送る時の、例えがたい喪失感。この深い悲しみと苦しみ。それでも、元家族から放棄され、空腹と孤独に耐え、時に希望を見失いかけながらも、常に生きることに前向きであった子達の状況とは、比ではないと感じたからです。

しかしここで、思いもしない言葉が投げかけられます。「よく次々にわんこを迎えられるよね。凄いね~。」正直わたしにとって心地良い言葉ではありません。わんこを見送り傷が癒えずの時期に、言葉のナイフは胸に突き刺さります。しかし、この言葉を投げつけられたことで、「覚悟」が出来た様にも感じます。

わたしは信念を貫こう! 間違ったことをしている訳ではないのだし、わたしのやりたいことを貫こう!と、覚悟を決めたのでした。。。
そんな覚悟に導いてくれたのも、わんこである掛替えのない子供達です。。。

2020年7月20日に、あん子を虹の橋へ見送って正直思うこと、、、やっぱりもう無理! 辛すぎる。。。
「あん子、ずっと、ずっと、大好きだよ~!」

 

« |  »